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みんなの図書館『おとなの夜学』ブログ

メディアコスモス初の試み

大人による大人のための『大人の夜学』スタート!

吉成図書館長:こんばんは。今回、初めてこの図書館で、夜に講座を開催させていただくことになりました。この図書館は『みんなの森』という名前にもあるように、みんなで創ってていきたいという思いがあります。まず1つ目に、NPO法人の『ORGAN』さんと共同開催できたことは、まさに『みんなでつくる』第一歩であり、スタートできること、大変嬉しいことです。

 2つ目に、この図書館は子供に来てもらうことろからのスタートでしたが、やっと今回、大人による大人のための会が開催できたことも、また嬉しいことです。

 そして3つ目は、図書館の機能の中で、『アーカイブ』という考え方があります。歴史や文化、風土の中で今まで生きてきた方たちが大事にしてきたものごと・知識を、情報としてストックしていくというものです。今回の講座では、そのストックの中に生きた情報を入れたいと思っています。学説もいろいろあるかもしれないですが、あまりこだわることなく、今、一番旬の生きた情報を楽しくわかりやすく入れていきたいと思っています。

 今回大事にしていきたい点は『生活知』。いわゆる生活に関わっている知識で、おばあちゃんの知恵袋のような、経験の中でうまれた知識や、身振り手振りを含んだ『身体知』のようなものをこの講座の中でみなさんとこれから一緒に楽しく学んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。

:本日はこのような会を一緒につくりあげてくることができまして、大変嬉しく思っております。今日がまさに第1回ということで、この『おとなの夜学』という試みがどのように今後進んでいくのか、わくわくしながらも緊張しております。

 本日は1219日ですけれども、今日のこの開催に合わせてくれたかのように、4日前、FAO(国際連合食糧農業機関)が認定する『世界農業遺産』に、『清流長良川鮎』が認定されました!!おめでとうございます!!僕も認定の知らせを聞いたときは、「ついに認定されたか・・」と感無量でございました。

 私についてですが、この岐阜市を中心に長良川流域の観光街づくりに取り組んでおります『NPO法人ORGAN』の代表理事で、法人としては5年ほど、活動としては10年程やってきております。5年前からは『長良川温泉泊覧会、(通称長良川おんぱく)』という催しで、この長良川流域を中心に岐阜ならではの魅力を体験型イベントとしてご提供する事業も事務局として活動させていただいております。

 大人が夜、示し合わせて、大人しかわからない『知』について語る、そんな空間を作っていきたいと思っております。様々な岐阜におられる一流の面白い方々に登場して頂きまして、夜学びつつ、話すというコンセプトで、スタートいたします。

岐阜のおいしいものとは・・?

筆頭である『長良川鮎』を今、新しい時代に繋ぐ二人


:第1回は「岐阜においしいものってあるの?-長良川の食と職-」。これは、失礼な言葉なんですけれど、外から来られる方などによく「岐阜においしいものってあるの?」って言われるんですよね。さらに言えば、岐阜に住んでいる人にすら、言われてしまいます。もちろん、美味しいものはありまして、よく言われる『鮎』についても、普段岐阜に住んでいながら実はそんなにたくさん召し上がっている方は少ないんじゃないかなと思っております。僕は長良川や岐阜の町づくりに関する仕事をやっていますので、美味しい鮎に巡り会うことができます。その中で、ただ美味しいだけではなく、鮎を文化としてこの地域で連綿と受け継いできて、そして、今新しい時代に繋いでいこうとしているお二人を、第1回のトークにお呼びいたしました。それでは、お二人をご紹介させていたします。

 『泉屋物産店』5代目社長の泉善七さんと、長良川の若手漁師で最年少船頭でもいらっしゃいます、『結の舟』平工顕太郎さんです。

 泉善七さんは、岐阜の老舗土産物屋『泉屋』の5代目として、鮎や川魚の調理品を扱う中で長良川の誇りは鮎だと再認識され、鮎料理専門店『川原町泉屋』をオープンして今年で10年目。炭火で40分かけて骨まで、頭から食べられるという最高においしい鮎の塩焼きが名物で、これを求めて全国から「岐阜に来たい」というよりも「泉屋で鮎が食べたい!」というファンが訪れ続けている、そんなお店の社長であり、料理長でいらっしゃいます。

 そして、平工顕太郎さんは、漁師でもあり、長良川鵜飼いでは鵜匠代表である山下純司鵜匠の「なか乗り』として船を操るお仕事をし、さらに『結の舟』という漁師さんの船に乗ってエコツアーするということもされており、三足の草鞋を履いていらっしゃいます。長良川中流域に現存する地域固有の川風景を次世代へ守り残すため、鮎を捕らえる伝統漁法の継承、天然鮎の種付け、木造漁船の修復などに従事しておられます。

川に入り、初めて見えてくる景色

32歳の若手『川漁師』、平工さんが見る長良川とは

:映像を流しながら紹介していただくという形で行きたいと思います。それでは宜しくお願い致します。

平工:平工顕太郎と申します。普段は長良川鵜飼の鵜匠代表である山下純司鵜匠の鵜舟に乗っています。花形である鵜匠の傍らいつもお客さんには背中を向けています。

 お写真一枚目をお見せしますけれども、鵜飼の途中の風景です。私がいるのわかりますか?・・はい、背中を向けて、お客さんにはいつもこういった態勢です。というのは、遊覧船は鵜匠の正面に入りますが、私のする仕事は常に反対側を向いて鵜に引っ張られる船を戻すような形で船をまっすぐ進めるのが私の仕事です。

 この岐阜という町で、『漁師』と名乗るのは大変勇気がいります。時代の流れで川魚を食べる習慣、食文化もなくなっていきましたし高度経済成長のあおりを受け、河川環境も悪化していきました。また、レジャーの多様化によって人々が川から離れるようになってきました。そんな中で、『川漁師』という職業自体が衰退の一途をたどっていきました。今、この町に川漁師さんは現存していますが、その最少年は何歳くらいだと思いますか?私はいま、32歳です。3年経って、『漁師さん』と呼ばれるようになりましたが、私以外の本職が『川漁師』の方、実は最年少で64歳なんです。つまりこの64歳の漁師さんから先40年ほど漁師さんは現れておりませんでした。そこに、私のような生意気な若造が『川漁師』という看板を背負い、挑戦しているところです。

  私が漁舟から眺める日常を撮影したものを集めてみましたので、普段私がどんな目線で長良川と関わっているか、少しでも感じてもらえればと思います。(映像流れる)長良川にはいくつか伝統漁法が残されております。この漁法は小魚の群れの動きを制御し操り、生きたまま魚を捕らえる『ぼうちょう網漁』です。数ある漁法の中でも一番難しいといわれています。  

 これは、4月に遡ってくる鮎の遡上調査です。遡上する鮎をみて、鮎の季節だなぁと思います。最初は10g程の小さな鮎から始まります。 

 同じ時期の岐阜市内の長良川です。超有名な魚が海から遡ってくるのですが、それを捕らえる『すば網』といいます。のように川底に白いビニールを張り、魚を漁労施設『すば』へと誘導します。その魚とは、サツキマスです。私の手と比べても大きいこの魚が、岐阜市にも来ます。海へくだった証拠に身が赤い色になって遡ってきます。

 いよいよ5月になると、鵜飼のシーズンに向けて船を洗います。500kg以上ある船を大人2,3人でひっくり返して、一生懸命洗って、お客さんをお迎えするところから始まります。

 鵜飼の開幕にあわせて、茜部の市場ではこういった『競り』がいよいよ始まっていきます。

  昼も朝も夜も川に出ていきます。淡水漁業の船を所有していますので、夜中にも水が出れば行かなければいけないのですが、少年時代に戯れた生き物たちの羽化する瞬間に出会うと32歳にもなった今でも時間を忘れて30分、1時間じっとみてたり、楽しくやっています。

 いよいよ夏らしい川ですね。7月になると、先ほど10gだった鮎がここまで大きくなって色艶ぴかぴかのきれいな鮎に。実は岐阜市内の長良川にもたくさん生息しています。

 少し貴重なお写真。鵜舟の中のはけ籠に出された魚、つまり鵜がとった鮎ですね、くちばしの痕が見えますでしょうか?

 8月になると、台風のシーズンが到来します。船を所有している人たちは、一般のみなさんが川に近づかないような増水時でも、なにがなんでも船を守るために、それこそ24時間、船の御守りをしていきます。とはいえ、台風は上流域の鮎を岐阜市内に呼び寄せてくれますし、台風の後は、郡上や板取など上流域で育った大きい良い魚が獲れますので、わくわくする瞬間でもあります。

 なかなか最近は食べる機会が少なくなりましたけれど、町なかではこういった『ハエ』(※)を炊いて食べられてきましたが、最近ではこの『ハエ』自体が少なくなってきています。

(※コイ科淡水魚の総称)

 岐阜市の秋の風物詩『瀬張り網漁』。市内11か所ありますが、川幅いっぱいにロープと白いビニールを張って、降下する鮎を脅かします。水面はロープが叩いて波だち、川底は鮎が嫌う白色で覆われます。これにより鮎の群れが産卵のため下流へと向かう動きを一時的に止めることができます

 秋の落ち鮎のエラ蓋やお腹まわりがオレンジ色に変わり、またオスは『錆鮎』なんていうように、金属がさびたようなざらざらの肌になります。秋は、上流域の郡上や高山では出回りにくい新鮮な子持ち鮎が岐阜市内で出回ります。

 とある日の私の一回の漁獲なんですけど、これくらいたくさん秋は獲れます。まあ、その分市場の価格もぐっと下がってくるんですけど、獲れたときに嬉しいです。

 鮎は結構みなさん知っていますが、海と川とを行き来する生き物です。こちらも海と川とを行き来する生き物『モクズガニ』です。上海蟹はご存知ですかね?上海蟹の正式名称が『中国モクズガニ』といい、つまり、上海蟹の兄弟、『日本の上海蟹』とも呼ばれています。なかなか市場に出回らないので食べる機会は少ないですが、この味噌が大変濃厚です。ひとつ鍋に入れると、鍋のコクが変わりますので、僕たちには今の時期の主役です。これをとるのが今(12月)の楽しみです。

 海と川を行き来する幻の魚『アユカケ』。千鳥橋の周辺で獲れました。

 先ほどいっていました『イカダバエ』。これを獲る技術は大変難しいです。今現存する漁師さんは『ぼうちょう網漁』という漁法を継承しておりまして、なんとかそれをなくしたくないという思いで私もやっております。

今の時代だからできること

川漁師として、今の時代だからできること、そしてやるべきこと

 ここからはなかなか知られることのない、川漁師の活動の1つをご紹介させていただきます。 鏡島、合渡あたりには、鮎の産卵場があります。本当ならば孵化した後、仔魚は川の流れにのって海に行けるのですが、今の長良川には人工横断構造物があってなかなか海までいけなくなってしまっていますので、川の漁師さんたちが受精卵の付いた魚巣を車で運搬したりして、なんとか孵化した鮎たちが海にたどり着けるように、手助けをする活動もしています。本来、鮎の寿命は1年です。その寿命をまっとうさせてやれるようにやっている小さな活動です。いいことか悪いことかわかりませんが、今行われている現実の1つとしてご紹介させてください。

 もう1つは私の活動についてです。『結の舟』という屋号で、お客様を岐阜城下や金華山界隈、長良川を川漁師の目線でご案内するような活動をやっております。周遊や遊覧とは違い、『エコツアー』という概念です。これからの時代を担う20代、30代の若者たちや、平成生まれの子供たちにも川を近くに感じてほしい。川が変わってきていることや、今後なにか問題が起きようとした時にも、みんなで関心をもって取り組んでいけるようになったらいいなという思いがあり、そのきっかけは遊びでいいと思っているんです。なにか繋げられるような活動がしたくて、私は淡水漁業の船を一般に開放して活動をしています。扱う用具はいわゆる『重要有形民俗文化財』と同じです。なかなか一般の方々が触れる機会もないものですけれど、私も漁師として個人で所有していますので、傷をつけてもらってもいいですし、重みや扱いにくさなど、子供たちにも体感してほしいなと思ってやっています。

 最後になりますが、今、岐阜市に現存する漁網屋さんが残り一軒となりました。この網屋のおばあちゃんが言ってますが、漁師さんも網屋さんから材料を買って、自分で網を作って、魚を捕るために寝る間も惜しんでいつも魚のことを考えております。私もいつかそんな一人前の漁師になれたらということで、ご紹介を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)

平工:もうひとつだけ、鵜飼のことは、有名ですし、皆さんご存知だと思いますが、鮎を獲るための伝統漁法が『鵜飼』以外にも長良川には現在20種類ほど残されております。ベテランの漁師さんは、水の濁りや水位、天候、水温、いろんなことを考えながら、今日できる漁法の中から一番適した漁法は何かを選んでいるんですね。自然と格闘しながら、常に結果を出し続けている、そんな漁師軍団がまだ実は現存しています。その内の最年少の方が、さきほど紹介しましたように64歳の方です。今、『世界農業遺産』に認定されて、みなおっしゃられることは、「勝負はこれからだ。」「今こそ真価が問われる時期が来たのだ」ということです。そして、それを受け継ぐもの、後継者は誰なのかといえば、私しかいない状況ですし、更に、次世代を育てる仕組みはできているのかということなど、さまざまなことがこれから問題提起されてくる時代になってくるのではないかと思っております。私自身、妻と子供を養いながら23年、川で生活していますが、ただ「伝統を守りたい」だとか、きれいなことばかり言ってられません。生活もかかっています。むしろ、最初は誰もが私に言いました。「たわけか。とろくさい。漁でなにが生活ができるだ。」それもそうですよね。50代の方やそれ以上の方には、自分の親が漁師だった方もいらっしゃいいます。船もあって、道具もある。魚をとる技術もある。それでも看板を下ろさざるを得ないといった時代の流れで、だんだんと漁師さんがいなくなってきたのに、いきなり新しく出てきたものがなにが漁師だということも言われてきました。しかし、私も勝算なくやっているのではないつもりです。今の時代に合ったやり方で川漁師をやっていこうと考えています。例えば、川で獲った魚を適正な価格で消費者に売るところまで見越して、やれると思って勝負しています。この川から、というよりこの国から川漁師という仕事がなくならないように、日々なんとか頑張っていきたいと思っています。

 

:もうすでに・・感動して、うるっときている方もいるようです。僕もですけど。ありがとうございました。まさにこれからが正念場だというところでございます。

 それでは、漁で獲った魚・・これを料理して食べるわけです。この『食べる』方の専門家、泉善七さんは料理人でもいらっしゃるわけなのですが、私は、勝手に泉さんは『料理人としての道を追求している』というよりは、実は『自分がうまいと思うものを追求している』のではないかと思っているのですけれども・・お話し伺っていきたいと思います。

長良川の川魚文化と発酵文化の歴史

:まずは最初に会社の説明からさせていただきます。先ほど、平工さんもおっしゃっていた『イカダバエ』ですが、私ども1887年創業の『泉屋物産店』は『イカダバエ』がメインの会社でございます。

:えっそうなんですか?!

:そうです。実はうち、『イカダバエ』の商標登録も持っています。それにも関わらず2年前製造をやめました。というのは(イカダバエを獲る)漁師さんがいません。今までお世話になっていた漁師さんが亡くなられ、『イカダバエ』が消滅している状態なので、平工さんにこれから獲ってもらって・・(会場笑い)

 泉屋の歴史として、そういった『イカダバエ』や『鮎の甘露煮』など、そういうものをずっと作ってきたのですが、贈答用の加工品としてお買い求めいただくことが多い商品でした。バブルが崩壊して、そういった贈答用のものが売れなくなってきました。伝統食品というのはそういう需要に偏っていたということがあります。そこで、「どうしようか。これはいかん!」ということで、私には調理経験はなかったのですが、鮎の塩焼きを20年前から本店の店頭で焼き始めました。そして10年前に『川原町泉屋』をオープンするに至ったわけです。蒲さんにも言われたように、料理経験がないので、我流で美味しさを追求しているといえば、そういうことになります。

 ここから、一気に東南アジアに話がいきます。うちでも天然鮎で『魚醤』と『熟れずし』をつくっているわけなんですが、それはどこからきたのか、歴史の話をしたいと思います。

 『熟れずし』『魚醤』の原点はここラオス。ホットスポット、メコン川があります。ここが発祥の地と言われています。このラオスへ3年前に行ったことがあります。そこで見たものは、まさしく『水田漁業』です。雨季と乾季がありまして、雨季から乾季になるとき、魚が大量に獲れるわけですね。それをなんとか保存させようと始めたのが、この『魚醤』と『熟れずし』。『魚醤』は、そのまま塩でだけ漬けておくんですね。『熟れずし』はそこにごはんを入れたものだと思っていただければいいと思います。面白い話が、だいたい700年くらいにアジアから日本に『熟れずし』が伝来したといわれていますが、その後どうなったかというと、日本ではお米を、大量に使うようになったんです。滋賀県の『鮒ずし』をご存知かと思いますが、あのような作り方がメインになりました。うちでも同じような作り方で『熟れずし』を作っているんですが、大量にお米を使っています。東南アジアの、ラオス・タイ・カンボジアの『熟れずし』はお米はちょっとしか使っていません。お米は魚を発酵させて食べる為の『スターター』というか、酸っぱくする為のもの。スターターでしかないんです。だからそのまま生で食べる文化なんてなかった。そこら辺が日本とアジアとの違いだと思います。

 『熟れずし』から『握り寿し』へ、江戸時代に酢が発明されて、お米に酢を使うようになったんです。そこで、大阪の『箱寿司』ができ、その後、『江戸前寿司』になった。『熟れずし』をここまで発展させたのは日本人だけです。未だに東南アジアでは、同じような作り方でその酸っぱくなった魚を保存させて焼いて食べているという状況が残っています。

 これ(資料)、『熟れずし小屋』です。左側は『鮒ずし』ですが、このような『熟れずし小屋』を約20年近く前に作りまして、取引先の鮒ずし屋さんに鮎で作ってみてもらえないかと依頼してみました。最初はうまくいったんです。では今度は大量に養殖鮎で作ってみようということでやってみたら、全部溶けちゃったんです。なんでかというと、内臓がそのままだったからです。

 鮒は口から内臓をひっかけてとっちゃうんです。そこにごはんを入れます。しかし、鮒ずしには内臓は取っています。鮎の場合もそれでやろうとしたんですけど、皮が柔らかく、ぐちょぐちょになってできませんでした。実は未だに溶けます。2割ぐらいダメになります。でも、塩漬けした状態でダメになりそうなやつは皮が破れていたりするのでわかりますので、桶に8段ぐらいにして漬けるんですけど、一番上に『捨て漬け』といって、もう溶けるものとして漬けます。実はその副産物がありまして、溶けることによってなにが美味しくなるかというと、一緒につけこんでいるごはんが美味しくなります!黄色いのがうまみの塊で、鮎から出てくるエキスです。これは子持ち鮎しか出ません。内臓の入っているものしかエキスがでません。天然のハラワタを取ったモノでは出ないんです。ここまでくるまでに3000匹ほど養殖の鮎を捨てました。そんな経緯の中なんとか『熟れずし』が作れるようになりました。

 鵜匠さんが作る『熟れずし』というものがあります。『早熟れ』といいまして、製造が2ヶ月くらいです。塩漬けしてから、12月中旬にごはん漬けをしてからお正月には食べちゃうのが、鵜匠家に伝わる『熟れずし』です。私どもの作っている『熟れずし』は滋賀県の『鮒ずし』と全く一緒の製法ですので、約1年漬け込み、ご飯がペースト状になります。鵜匠さんの『熟れずし』はちょっとごはんつぶが残っている、生々しい『熟れずし』。余談なんですが、なぜその『熟れずし』が岐阜の食文化として残らなかったのか。こんなこと言っていいのかな・・生々しくてあまり庶民には合わなかったんではないかと私は勝手にそう思っています。慣れている人にはいいですけど、慣れてない人には合わなかったのかなと。滋賀県の鮒ずしは残っているのに、岐阜には残っていなかった。先代も、先々代も『熟れずし』を作ろうとはしなかったようで、私には大変不思議な点でした。

泉さんならではのおいしさ追求の鮎料理

アイディアが止まらない!泉さんならではのおいしさ追求の鮎料理

:『熟れずし』は保存食で塩辛いです。お酒のあてのような、パクパクと食べるものでもないので、需要がこのままでは伸びないだろうということでいろいろ考えました。ゴルゴンゾーラチーズを連想する子持ち鮎の『熟れずし』のレシピを探していたところ、お肉にかけるソースのレシピを見て、作って冷蔵庫に入れたら固まってしまいました。それをバケットに塗って食べたらおいしかったということで商品化しましたのが『白熟クリーム』です。

 これ(資料)、チョコレートです。ゴルゴンゾーラチーズのチョコレートというのがありまして、『熟れずし』のごはんを入れたらこうなるんじゃないかということで作ったら本当になりました。そこからまた発展していきます。

 

 熟れずしのピザです。これは絶対ピザに合うだろうということで、お店に本格的なピザ釜をつくりました。アンチョビソースをイメージした、『鮎チョビソース』をオリーブオイルの代わりにピザにかけて焼きます。そんなようなことで『鮎ピザ』ができあがりました。

 そうこうしているうちに、ある能登の方と出会いまして、魚醤の一種である『いしる』というものを勉強させていただきました。イカの内臓でつくると聞いたとたんに「これは鮎の内臓で作った方が絶対美味しい」と思い作りました。天然鮎の魚醤です。天然鮎まるごとです。塩と天然鮎しか入っていません。内臓が溶けると先ほどありましたが、それを利用して作りました。内臓のたんぱく質分解作用を利用します。ここまでに2年かかりました。残るのは骨と皮。まさしく鮎そのまま、うまみが凝縮されているものです。次にこれをどう使うかということで、ピザにかけるジュノベーゼソース、アンチョビの代わりに魚醤を使って作っています。そして去年から作り始めた『鮎カレー』。鮎ピザとか鮎カレーというと鮎が乗っているのかと皆さん思われますが、溶けています。食塩を使わず天然鮎の魚醤で調味しています。ナンプラーよりも臭みがないものですから、すごく優しい美味しい味付けになります。

 これ(資料)はカレーの付け合わせになるんですが、ヨーグルトと熟れずしのごはんを合わせたサラダです。発酵食品は合わせるとうまみが増幅します。すごくおいしいです。

 

世界を視野に、鮎と向き合う

まだまだ終わらない泉さんの挑戦 


:東南アジアからずっときている『熟れずし』と『魚醤』文化ですけど、鮎でやったらこんな風になった、ということです。こういうことやっていると、『魚醤』と『熟れずし』を使って何かできないかなということをずっと考えています。鮎料理のレパートリーについて、そして原点が見たいと思っていまして、来年は香港とカンボジアに行こうと思っています。カンボジアにはトンレサップ湖というすごい湖がありまして、そこも『熟れずし』と『魚醤』の原点です。ラオスに行ったとき、あまりに料理が激辛で、胃腸を悪くしたので、今度はあまり辛くない食文化であるカンボジアにと・・・(会場笑い)

 

 ところで、東南アジアですが、どこまでを東南アジアと思いますか?答えは、ミャンマーが西の区切れだと思います。というのは、『味の素』をうまみとして感じる文化圏かどうかがポイントでして、これがミャンマーまでです。実は日本が『味の素』を売りに行ったところ、バングラデシュなどでは全然売れないのです。食の味覚の文化圏が違うからです。あちらはスパイス文化になります。ミャンマーやその辺りは全部『魚醤』『熟れずし』があります。だから我々と東南アジアの方たちは同じ味覚を持っているということは間違いないと思います。

 最後に余談なんですが『ケチャップ』の語源はご存知ですか?実は福建語なんです。(会場どよめく)『魚醤』のことなんです。『魚醤』が、インド、ヨーロッパに伝播して、イギリスに行き、そこからアメリカに行って、トマトケチャップということになりました。ですから、アジアというのは食の発祥の地ではないかと思っております!!(会場笑い)

 こういったこと考えますと、食の文化と文化が交じりあって、そこに新しい味覚が生まれ、それがスタンダードになってくれば、トマトケチャップみたいなことになってくるんじゃないかと思っております。まだまだ食の文化は広がっていくと思いますし、なんとかこの鮎で、世界中に発信できる食文化になっていかないかと、常に日ごろ思ってやっております。

 どうもご清聴ありがとうございました。

 

:この切り口から鮎を語れる方は泉さん一人しかいないと思いんですけど、本当にこの5年間、長良川おんぱくでも初年度だけ『熟れずし食べ比べ』でしたが、毎年のように『魚醤』と『熟れずし』のスペシャルコースというものをお願いしてやってもらったんですけど、毎年新しいメニューが生まれるんですよ。常に探求をされ続けていて、最初イタリアンとの融合の考え方を取り入れられたかと思ったら、突然カレーが生まれたり、更には『魚醤』は焼きそばが合う!とか、あとは、『熟れずし練りこみソーセージ』ですっけ?

:そうです。ラオスに行ったときに、もち米を入れて発酵させたソーセージがありまして、それを食べたときに、「あぁこれ熟れずしのごはんを入れたら絶対おいしくなるだろう!」と思い作ったら、本当ににおいしくなりました。

:そのような訳ですから、毎年おんぱく限定でこういった特殊な料理をコースでみなさんに召し上がっていただいているんですけども、毎年皆さん、「こんなの食べたことない。でもとにかくうまい!」と唸っていらっしゃいます。そんな『魚醤』と『熟れずし』を鮎を通して実践していらっしゃるスペシャリスト泉さんです。ありがとうございました。

鮎の本当のおいしさとは・・

切り開かれる新しい味覚と、次世代に繋げたいいにしえの味覚

:それでは、ここからはお二人交えつつ、やっていきたいと思います。鮎って比較的淡白な魚だと思うじゃないですか。淡白ですよね。しかしながら先ほども、『鮎の旨み』という話がありましたけれども、旨みがさまざまな料理に展開していくわけですが、その源泉は、内臓なわけじゃないですか。

:はい、内臓です。

:僕は泉さんから教えてもらったことは、『鮎は内臓を食べる魚である』というお話で・・

:私よりも前に北大路魯山人がそう言っていたんですけど・・

(会場笑い声)

:その内臓の味を育んでいるのが、やはり「コケ」ということですよね。

:そうですね。獲れたところ、川によって、天然の味が全然違います。まさしく川の、ワインで言う『テロワール』ですね。土の味、川の味、これがまさしく鮎の味といいますか、すごく面白いです。

:なるほどですね。『テロワール』というのは、ワインの味はブドウを育んだ土壌の味そのもの。というフランス語ですね。

:鮎は川のテロワール。

:かっこいいですねえ。めちゃめちゃかっこいい・・

(会場笑い)

:川によって、味が違うのはコケの味が違うわけで、コケを育てるのは、やはり

水であり・・・

:水であり、森、森林・・やはりその辺が一番大きいんじゃないかと思います。

:泉さんはお土産屋さんの息子さんとして、お土産製造販売の業種だったのに、塩焼きを始められたきっかけとしては、結構全国を食べ歩いたと伺ったんですけれども・・

:食べ歩いたというか、美味しい鮎の塩焼きに出会えたことがなかったんで。(会場笑い)鮎の塩焼きってあんまりおいしくない・・この頃は変わってきたと思うんですけれど、あんな小さい魚を、骨抜きだの、どうのこうのいって、ぐじゅぐじゅやってですね、タデ酢みたいのに漬けて食べるのが昔の主流だったじゃないですか。ぜんぜん美味しいと思ったことないんです。(笑)

それで、こんな小さな魚は丸ごと食べたほうがいいだろうと、ずっとなんとかならないかなと思っていて、それで自分でやろうと思い、やり始めたんですけど・・

:いわゆる料理屋さんや、旅館さん、そういったところで出す焼き方と全く違いますよね。食べ方も違いますし、思想が違いますよね。

泉:そうですね。炭火で40分くらいかけてじっくり焼くんですけど、鮎の頭と骨は絶対食べられると思っていましたし、まあ、大きい魚とかだと本当に小一時間かけるんですけど、やっぱりそのほうがワイルドです。頭がかりかりで美味しいと皆さん言われます。鮎の「頭から食べられますよ」と言われて食べてみたところ、頭が『ぐにゅっ』とする経験があられると思うんですけど、あれが生臭さの原因なんです。もうあれに合っちゃうと、「うわーっ」と思っちゃいます。ですから、徹底的に頭を焼いて、かりかりにするんです。すると、さくっとしますから、「あっ!!美味しい」』となります。その一口目の感動。これを非常に大切に考えております。それがやっぱり鮎の塩焼きのおいしさに繋がっているんじゃないかなと思っています。

:なるほど。ありがとうございます。平工さんは、普段毎日のように鮎を獲ってくるわけですけれども、奥さまと一緒にいろんな鮎の料理にチャレンジすると聞いていますが、今コケによって、川によって、鮎の味が違うという話がありましたが、普段から感じられますか?

平工:私は長良川の中流域、岐阜市内を主な漁場としておりまして、毎日鮎を食べています。春、骨のまだ一番やわい時期から毎日食卓に天然鮎が上がるんですけど、同じ場所で獲っていても、「美味しいな!」と思う鮎もあれば「味がないな」という鮎ももちろんありますし、また月が経てばたつほど、味も変わっていきます。つまり1年という寿命ですから、劇的な成長をするんですね。日に日に成長していますので、5月の若鮎のように、骨が舌に当たらない鮎もあれば今の時期ですと、卵が美味しくなり、同じ鮎でも味が違います。産地の違いとか、河川の違いとかよりも、同じ場所にいるんですけど、個体差があるというような印象で私は思います。

:なるほど!1年通じて川にいるから、そういう形になるわけですね。

平工:例えば、今日お持ちしました、『赤煮』という郷土の料理は、甘露煮のようなイメージですが、実は甘露煮ほど頭や骨をほろほろに炊きません。10分~15分ほどさらっと煮るだけなので、身が白いまま食べられます。この流域の方は、香りのいい鮮度のいい鮎が手に入ったので、鮎本来の風味を損なわずに味わう食べ方を大切にしました。それが『赤煮』です初夏~盛夏にかけて『赤煮』をすると本当においしくて、身もふわふわで骨も舌に当たらないんですけど、初秋~晩秋の時期、同じような調理法でやると、これが全然美味しくなかったりするんですね。まず、皮のつや感が今の季節の鮎にはなかったりしますし、骨が固くて、口に当たってしまって全然おいしさが感じられなかったりします。

 どちらかというと泉さんのような新しいやり方を取り入れるというよりかは、この流域にずっと残っている漁師さんのレシピを継承するようなやり方をしてるんですけど、『赤煮』ひとつとっても難しいですね。私は獲ることが専門だったんですけれど、食の方にも少し足を踏み入れた瞬間、身に染みて感じています。

:そうですよね。ところで『煮る』料理は、泉さん、あまりお店では出してないんですか?

:自分は食べませんが、出してますよ。もともと『昆布巻き』とか煮炊きはやってますので。『昆布巻き』でもですね、私が継いだときから製法が全然違っています。昔は、ずっと炊きこんで味を濃くしていたんですが、今はあんまり味を濃くせずに、調味に漬け込むっていうやり方をしています。要するに、煮物は次の日が美味しいじゃないですか。その製法でまたその煮汁を使って、注ぎ足し注ぎ足しで作っています。ですから、昔と同じ『昆布巻き』、『甘露煮』という商品でも全然味が違うと思います。やはり味覚が変わってきていますので、それに合わせて味も薄くしています。

:薄くなったんですか。

:かなり薄くなってます。

:さっきおっしゃったように、香りを楽しむためにそんなに醤油辛さをつけないみたいなお話がありましたが、鮎の香りも季節によって変わってくるんですよね?

平工:市場価格もそれに比例すると思います。

:あっ!香りに比例するのか!?

香りと鮮度、そして内臓の旨み

中流域と上流域の鮎の魅力の違いとは

平工:長良川鵜飼いで日没から22時まで船頭の仕事をしていますので、夜の自分の漁の時間というのは深夜の0時から明け方、そこでしか漁ができないのですが、鮎を獲る漁法で、『火ぶり網』というものをよくやります。腰くらいまでしか入らず、船も使わないです。夜になると鮎は瀬の中から浅瀬のほうに寝床をつくっていますので、そこを襲撃するような漁なんですけど、暗くて魚なんて見えませんが、網をあげてる時から川面にふわふわふわと、まさにすいかの香りがするので、「今日は大漁だな」なんて思うこともあります。鮎の香りです。5月6月の市場価格見てください。せいろ箱これくらいの木の箱に鮎が並んで、茜部の市場で競りにかかるんですけど、高値のときは1キロ相当2万7千円で卸価格がつきます。1匹でいうと、1000円~1500円卸値がするんですけど、逆に今11月、12月初めの鮎は養殖鮎を下回ります。キロあたり1000円とか、そんな値になってしまうくらい市場価格は5月6月にぐっとあがって、7月8月は入荷量があがるので少し安定して、途中から下がります。話は少し変わりますが、岐阜市のこの辺は、本流筋の上下間の魚の移動だけではなく、武芸川・津保川・板取川など、いろんな支流の川の魚が合わさって入ってきますので、一概に郡上の鮎といってもいろんな支流が入ってます。泉さんの内臓を食べられるという哲学とは反して、中流域の方は内臓を抜きます。それは料理人さんなど扱う方々が内臓がない方が取り扱いやすいということや、内臓がない方が鮮度が保たれるということで、中流域の業者は内臓を抜くんですね。漁師さんたちは一番おなかのやわらかいところから、刃物を使わずに指の圧だけでぱちんと内臓を出すのですが、そのお腹まわりの皮膚の厚みで、「これは板取の魚かな」とか、「あ、郡上のかな」とか、「津保川のだな」とか、言われるくらい厚みで産地の違いがわかるみたいですね。

:平工さんはわかります?

平工:私は、鮎の腹の破れやすさの違いで漁場の中の魚が入れ替わったことはわかっても、それがどの川からやって来た鮎なのかという産地の違いまではまだわからないです。それこそ養殖(放流)と天然の違いくらいはわかりますが。

:すごいですね!なるほど。そういう意味で、泉さんの「内臓まで食べてもらおう」ということについてですが、上流の鮎だと内臓をそのままで販売しているという・・

:私が主にお店で使っているのは友釣りの鮎で、これは100パーセント内臓が入っています。それを今、和良川・長良川・郡上の上流から入荷しております。実は、先ほど鮮度が・・と平工さんおっしゃいましたけれども、鮮度が落ちるとかいう問題を解決するために、『川原町泉屋』は、瞬間凍結器ですぐ凍結させてしまう方法を確立いたしまして、もう和良川ではすぐ現地ですぐ冷凍させています。正直なところ、1年前の鮎と鮮度が変わりません。というのは、鮎の鮮度はからだについている『ぬめり』なんです。ぬるぬるの状態で真空パックに入れて凍結させちゃうんです。今、真空パックはすごい精度が上がっていまして、全然空気を通さなくなっています。そもそも、なんでそんなことやり始めたかというと、天候で、台風が来たりすると1.2週間もう獲れないという時もあります。鮎料理専門店としてどうしたらいいのかということで、生かしたりいろいろしたんですが、生かせると一日で天然鮎の内臓の美味しいとこ全部出ちゃうんです。香りがなくなっちゃいます。先ほど香りが大切というお話をしましたが、鮎は生かしたらダメです。これはっきり言えます。よく、料理屋さんなどで生かした鮎が出てきますけど、おなかの中が空っぽのものが出てくると、「ああ、これ一週間くらい生かしてたんだな」と思います。ぜんぜん美味しくないんです。そうして、いろいろ考えた結果で、凍結させようということで今、うちの鮎はほとんど凍結させています。自分で焼いていますが、どっちがいいかといわれると、生のものでも一日経ったらもう鮮度が落ちちゃいます。おなかがピンク色になってくるんですね。そういう鮎を焼くよりも、やはりその場で瞬時に凍結させた鮎を使った方が絶対美味しいと思ってやっています。内臓のおいしさを追求するとこれしかないです!

(会場笑い)

:なるほどですね。僕としてはぜひこの中流域の鮎を泉さんにちゃんと焼いていただいてですね、このコラボレーションが実現するのを早急に目指したいなと思っています。今年度は、お二人の出会いがありました。きっかけは平工さんがBSフジの『夢の食卓』という番組で取材されるにあたりまして、僕が泉さんに平工さんを紹介するシーンを撮りたいんだと言われまして、意外にも、割りとすぐ近くにいるのに、本当に会ったことなかったんですよね、あの時まで。

:実は中流域の鮎を使っていないので(笑)、接点がないんですよ。

:それでお会いさせたときに、カメラ入っているのも気にせず、もう延々とに漁の話などをしだしてですね、まず最初におっしゃっていたのはさっきの『ハエ』ですよね。『イカダバエ』。その時の平工さんの反応としてはすぐには「はい」とは言えない状況がある、と。

 

『イカダバエ』はこの先10年はつくれない!?

平工さんが直面した長良川漁師の現状と課題

平工:そうですね、『ぼうちょう網漁』と申しますと、1人ではできない漁法になっております。『イカダバエ』の材料なんですけど、この時期12月から1月、一番ピークになります。それを獲るためは、それなりの技術ある方でグループを作ります。どんな漁かと言いますと、長い竹竿の先端に黒い布生地をあてがい、この布で、魚を狙う水鳥たちの動きをつくります。魚の群れにこちらが人間だと気がつかれないようにするため長い竹竿を使い、群れから一定の距離を保ちながら、水面や水中で魚を追う水鳥たちの動きを布1枚で演出するのですが、その棹さばきが非常に難しいです。なかなか想像つかないですけど、グループ全員で息を合わせながら散らばっている『ハエ』をひとつの群れにしていきその群れの動きを人間が操りながら、事前に構えた四手網に追い込んでいくというものです。これが映像の一番冒頭にあった『ぼうちょう網漁』ですが、今の人たちも、10年ほどかかってやっと一人前といわれているようです。私は今2年目になって、このお正月から実際に本川(長良川本流のこと)で師匠さんと練習を始めるのですが、その技術というのは大変難しくてですね、ただ魚の固まりをつくるだけじゃないんです。多いときはわざと群れを割って2つにして、1つの群れは四手網に追い込み、もう1つはずっとそのまま群れが崩れないように操って、まずはひとつの群れを四手網を水揚げしてから、溜めておいたもう一方の群れをあらためて攻めるという巧みな技なんですけど、もう生で見ると圧巻というか、「ええ~なんでそんなことできるの?」というぐらいの技です。このように、『イカダバエ』を天然魚でつくるのには必要な漁法なんですけど、まず、1人前になるのに期間が10年かかるということと、そもそも私の世代に一緒に漁をする人がなかなかいないということで、すぐに泉さんに「うん」と返事できなかったのがあの時の私です。

:チーム制なんですよね。何人必要なんですか・・?

平工:今の方々は4人で1チームということです。もちろん1人でもできます。なんでもですけど、2人でやる漁法も1人でもできることはできます。ただ、ある程度固まった漁獲を得ようと思うとチームでというのが基本となっております。

:そうですよね。今、漁協の組合職員で浅野君という28歳の方がいるんですけど、漁協の職員の事務をやっているかと思い電話をするとだいたい「川に行ってます」と言われるんですね。彼が仮に修行して10年するとしてもまだ二人ですからね。あと2人いるわけですよ。ですから商標を持っていらっしゃる泉屋さんが長良川の『ハエ』で、『イカダバエ』を作るようになるにはあと2人、若手が必要なんですけれども、どなたか・・。(会場笑い)本当に「どなたか・・」という状況ではあるわけなんですね。この会も、『世界農業遺産』も含めてですね、単に鮎をブランド化して高く売っていこうというより、そういった周辺文化も含めてちゃんと継承していくということを、みんなでどう考えるのかというメッセージを発信していかなきゃいけないと思うわけです。漁師に若い人がなろうと思うにはどうしたらいいですかね。

平工:私の周りにも川が好きな子や、魚に詳しい子というのはたくさん実はいます。ですが、挑戦できないのです。私も3年経って直面していますが、若い子が参入しづらい現実というのはあると思います。体質が、古いです。海の漁協なんかは大変進んでいます。農水省の補助金を活用しながら地域スポンサーが環境を整え、若手を育てたりという仕組みなどがありますが、この地域の漁協ではそういったものに取り組んでおりません。世代も開き過ぎております。また自分がやっているような活動や売り方など、なかなか理解をしてもらえませんし、同じ場所で鮎を獲っても、屋号をつけて出しますので、その時点でもう値段が違うんです。長年コンスタントに信頼を積み上げた方の鮎と、新参者の漁師の鮎とでは、もう市場に並んだ時点、瞬間で値段が違います。では値段を高めるためには、私はあと何年辛抱しなければいけないのか。その間に家庭はどうなるのか。ということも考えると、既存のシステムを壊すしかないというか、今はもうそれが主流ですよね。そういったこともなかなか理解してもらえないですし、組織としての動きはまだまだ進んでいないというのが現実ではあります。若い子が飛び込むには資金とか保障とかではなくて、仕組みがないと思います。私はトップランナーなんて言葉を使ってもらうことがあるんですけど、私が足跡を残すことで、次の子たちの励みになれればと頑張っているところです。

 

:ありがとうございます!『世界農業遺産』の認定もあり、喜びもありますが、やはり内実はこういう厳しい現状もあるということです。けれども長良川の希望はこういった平工さんや浅野さんがのような若い人が、今2人しかいないかもしれないけど、確実に今、現存しているということです。継承する気甲斐がある若い人や、まだ結婚していなくてちょっと世の中のことわかってない若い子とかですね(会場笑い)・・まあ、養う人がいないとね、ちょっと無茶ができますからね。それまでの10年くらいをうまく活用してなんとかしていけないものでしょうか。鮎の売り方についても工夫していけたらと思っておりまして、WEBなどで直接売るとなると、単価が全然違うんですよね。実際に平工さんの師匠の服部さんでさえ、大変に自分の鮎を安く見積もってますよね。

和良川鮎の大高騰の理由は・・

今後の鮎の『付加価値』と『売り方』

平工:そうですね。これは文化ですよね、長良川の鏡島という地区は一番いわゆる歴史もありますので、流域の主婦の方たちが川に行き、直接漁師さんから魚を買うという文化がずっと残ってます。私からしますと、手間もかかってますし、汗も流して獲られてる天然鮎、海から上って川で育った天然の鮎をその数量でその価格で?と、とても驚くこともありますが、師匠に言わせると、これは昔から残っている人と人との関わり合いの文化なんだということで提供されています。大切なことの1つとも思っています。

:そうなんですよね。鮎を付加価値化して売るということに関しては、泉屋さんをおいて、他にないわけなんですけども・・鮎の値段に関して、どんな考え方をお持ちですか?

:私は別に付加価値あげてるわけではないですよ。一番あげてるのは、和良川の鮎の価格をべらぼうにしたのは東京の料理人ですよ。和良鮎の一番いいものは一匹1200円します。我々が仕入れる値段です。しかも全部がいい風に使えるわけではなく、「これちょっと塩焼きには向かないな。」というものもあります。ごく稀にですが、砂が入っている場合があるんです。串をうっているときに出てきて、「ちょっとこれお客さんに出すわけにはいかないな」というものをロスとして出してくると、店で出す値段は一匹3000円くらいになっちゃうんですね。

 江戸前のお寿司がなんであんなに高いかというのは、しっぽや頭のほうは全部捨て、お客さんにはいいところしか出さないんです。イワシは1キロ買ってきても使えるのは半分あるかないかだと思います。そういう理由で、値段が上がってしまう。そして、和良川の鮎は、東京の方が「ここの鮎は大変おいしい」ということで、和良川はもともと河川としては小さいものですから、獲れる数も限られています。そして、和良川漁協組合の方も付加価値を上げたいということで、市場に出さず、すべて直売りとなりました。全部料理屋、料理人です。もう市場を通しませんが、それでも1200円です。すごく付加価値が上がっています。他の郡上漁協さんも動き出しています。なので、市場市場と言いますけど、自分で売る方法を考えた方が付加価値あがるんじゃないかと思います。市場を通すシステムはもう古いんじゃないかとも僕は思います。

平工:お気づきの点を、私は実は実行しておりまして、川漁師さんがなぜあれだけ獲れても生計が立てられないかというのは、卸売市場に頼った値段で取引きしているという現実があります。私は、現在facebookやTwitterといったSNSを通して、直接消費者と結ばれていますし、現物を持ち込む場さえあれば、直接最終小売価格でお客さんに出せますので、市場に出すことだけが全てではないと思っています。

 『地産地消』という言葉が大変きれいなので、私も「天然はとても高価ですので、なかなか手が出ない」という地元の方や同世代の若い人たちにも卸値相当でお分けする一方で、自分としても生活が懸かってますので、facebookなどで紹介して、価値を見出して買ってくれる方を確実に掴みながら生活の為にもやっております。実はこれ言いたくなかったんですけど・・(会場笑い)マネされますよね。漁師さん、若い子たちに参入されてマネされたら、生活が脅かされるので、実は言いたくないサービスなんですけど、こういったことをしながら今は家族を養っています。

 先ほど泉さんからあった内臓の砂の話をしますね。先ほど中流域の私たち漁師は『おなかを抜く』といいましたが、これ砂が入っている鮎は調理で嫌われることも理由の1つです。上流域の鮎の場合はよっぽど心配ないんですけど、中流域、中下流域の鮎は川の1等地のエサ場面積に対して個体数が上回るので、いいエサ場にありつけない個体がでてきます。なのでどうしても餌を食べたときに微細な砂が混じって内臓に石が入ります。市場に出した時に、中流域産は砂が入っているとか言われるのは嫌ですから、おなかを抜くことで、「砂の入っていない魚だよ」ということを示します。ただ、完全に苦味とか風味が消えてしまうわけではないです。焼いて食べてみたらわかります。苦味など十分残ってますし、鮮度も延びたということで、実は市場に並んだ時に、必ず郡上の鮎が高いとは限らないんです。長良川ブランドのシールがありまして、これと、郡上ブランドシールの鮎が並んだときに、どっちが高いかは、その日にならないとわからないです。私の場合は初めから値段が低いので、そういった市場に依存せずに、個人流通になっています。泉さんのように「内臓がうまい」という方、私も尊敬します。自分で獲った魚は必ず食べています。お客さんに出すにはそれくらいの責任は持ってやりたいので内臓も毎日食べて、砂も入ってますけど味わいながら、それはいいものだと思っています。

:瀬張り網漁の秋の落ち鮎は、鏡島なんかでは少し生け簀で砂を抜くというようなことをするとか・・しかし、さっき泉さんがおっしゃってたように、完全におなかを空になると・・

:じつは、子持ち鮎はそれやらないといけないんです。僕は子持ち鮎は主にやなで買ってるんですが、やなで2日間ぐらい生かしてもらわないといけません。でもその代わり、オスもメスも全部買わなきゃいけないんです。なのでそれを処理できる能力があるかどうかということも重要ですね。去年は700kgぐらい獲れてすべて買いました。そこで『魚醤』というものが出てくるんですよ。オスは全部『魚醤』に回していきます。鮎を全て製品化するということができないと、砂の入っていない子持ち鮎を仕入れることができません。小さい鮎も、全部魚醤にしてます。あとは『うるか』にしたり、会社ぐるみでなんとか使いこなせるのでそういうことができるんじゃないかなと思っています。

:そうですよね。この時期の卵の入った子持ち鮎は高く売れますよが、白子が入っているオスの鮎というのはだんだん固くなってきますしね、黒くなって、なんかうろこもバリバリしてくるし・・なんかちょっと白子のぬめりが全身に回っているような感じでね、あんまりそのまま焼いて食べるの微妙で・・

:加齢臭がします!

:加齢臭!!(笑い)するする(笑)そういう意味でも『熟れずし』というこの長良川に伝わっている食文化は、基本的にはオスの鮎を使い、白子や内臓を抜いて塩漬けして、そこにごはんを漬けてやるというものですね。逆にこれがメスだと微妙なんですよね。

:メスではだめ。消化酵素が出ちゃってできません。オスは内臓を取り除くからできるんですけど、内臓付の魚で『熟れずし』をつくっているというのは、子持ち鮎の内臓しかないんじゃないかと思います。

:そういう意味で、基本的に『熟れずし』というのは、淡白なオスの鮎で作るものであった・・

:東南アジアでは、切り身ですよ。

:ああー、もうぶつ切りに・・

:そう、大きい魚の切り身で、『熟れずし」つくっていますよ。

:なるほどですね。そういう風に、ずっと連綿と地域でつながってきた知恵には、『獲れたものをちゃんと消費する』という役割分担みたいなものもきっとあったんでしょうね。今それを一手に引き受けようとしているのが泉さんだったり、漁師の世界では良い部分に付加価値をつけて販売しようとされているのが平工さんだったりすると思います。

『世界農業遺産』認定が示す本質とは・・

みんなでつくっていきたい『長良川システム』

:何度も出てきておりますが、『世界農業遺産』という形で認定された『長良川システム』について、少し解説します。お手元にも資料がありますが、ただ単に、『長良川の鮎』が認定を受けたわけではないです。この長良川流域でずっと継承されてきてきた、例えば鮎を育む営み、さっきの『種付け』もそうですね。これはもう100年以上前から長良川だけでやっている取り組みです。長良川はとにかく水量が多くて、鮎の漁獲も毎年かなり乱高下しましたので、少しでもその生産を安定させるという意味で、大正時代くらいの漁師さんたちが始めたといわれています。オスの白子とメスの卵を秋の時期に、瀬張り漁で獲って、受精卵にして、棕櫚(しゅろ)の葉につけて、その葉で育て、それで生まれた鮎は河口に行って、春に遡ってくるというものです。そして今までお話にでてきました『食べ方』ですね。この『世界農業遺産』のプレゼンテーションには泉さんの奥さまも、ローマに行かれたんですっけ?

:ローマには誘ってもらえなかったですけど・・(会場笑い)

FAOの方が日本に来たときのプレゼンテーションには奥さまがされたり、やはり『食べる』ということや、さまざまな食べ方、伝え方ですね。そしておそらく『鮎』だけではなくこの周辺の『雑魚』も含めた『川魚とともに暮らしてきたこの地域の人たちの文化そのもの』を認定されたというのが『世界農業遺産』です。ですから、ひとつのものが、「鮎がいいよ」ということではなく、それを取り巻く仕組みを今回は『里川・長良川システム』として認定を受けたということです。本日、皆さんには地元なのに知らなかった話がかなりあったんじゃないかと思うんですけども、この全てが今回世界的な遺産として、つまり後世に繋ぐべきものとして認定を受けたという意味では、今日お持ち帰りいただいたものは是非周りにも広げて頂きたいですし、そしてこれからこのお二人を含めて、この長良川の文化を継承していく仕組みづくりに是非関わっていっていただきたいなと思います。私も平均年齢75歳くらいの漁協の理事会に遊びに行ったことがあるんですけど、あそこで今平工さんが悩んでいることのような問題意識をそのまま解決をする主体になるということはなかなか難しいことです。けれども、終わるわけにはいかない。これからの時代、料理人も漁協も現場の漁師さんも、そして消費する方、そして側面的に応援していく市民の力で、新しい仕組みが作っていければと考えております。というわけで、ちょっと強引な締め方かもしれないですけれども、特殊な専門性なのに気さくなお人柄なこのお2人、これからも、町のいろいろなところでお会いできますし、泉さんはお店に行けばお会いできますので、ぜひともお店に行っていただいたり、平工さんの『結の舟』に乗っていただいたり、そんな形で今後とも関わっていっていただけたらなと思います。まずはお二人に、どうもありがとうございました。

(会場拍手)

【質問タイム】

参加者(女性):質問じゃないんですけども、わたしは鵜飼屋で生まれ育ってきました。だから今話を聞いていて、良かったなあと思いました。小学校4,5年生のころ、父が獲ったコイとかうなぎとかなまずとか全て食べさせられました。泉屋さんがおっしゃった、『熟れずし』作るにも、天然と養殖でずいぶん苦労なさったんじゃないかなとそんな気持ちもちょっとありました。ちょうどすぎ山旅館からちょっと下がったところで父が一晩でコイを7,8匹獲ったことがありました。私が少し上の方で、お芋の金時を餌ににしたら、釣れましたよ。(会場笑い)今は川がすごく浅いですが、昔はすごく深かったです。ガキ大将が頭をくっともぐるとすいーっといくぐらい深かったです。なまずとかうなぎを小さい時からたらいにいれてもらって遊んでいました。5年生のときには、うなぎを自分でさばけましたよ。自分でかみそりみたいなものでやりましたからね。そういったことを思い出しましてね、本当に、あのときは橋の上から魚がずーっと泳ぐのが見えるくらいでした。だから今では想像がつかないですね。雨で増水するとね、今十八楼があるあたりで手拭いでモズクガニを獲った覚えがあるくらいです。エビや、モズクガニ、それからボラなどもいました。そういうのが印象に残っていまして、昔を思い出しました。

:やっぱりそういった魚、魚食、鮎だけじゃなくて、今聞いただけでもものすごくたくさんの種類の魚かが、この岐阜市のど真ん中で、獲れたり、身近に触れられていたんですね。鵜飼屋というのはすぎ山旅館さんやグランドホテルとか、あのあたりのことなんですけど、『熟れずし』も鵜匠さんだけじゃなく鵜飼屋地区の方々は未だに一部の普通のご家庭でも作ったりもされているということで、この岐阜市のど真ん中でそういった川と親しむ文化を未だに継承されている方がいるということは、やっぱりもうちょっと大事にし、さらによりおいしくして後世に繋げて、生活の中でつなげていけるといいなと、思いました。ありがとうございました。

参加者(女性):伊勢湾台風で床上浸水にあいまして、家の中で泳ぎました。(会場笑い)

:良かったです、今ここにいてくださって・・ありがとうございます。

そのほかの方は?

 

男性:泉屋さんと競合しておられた一軒もなくなりましたね、私は今数えが80になりますが、高校時代に泉屋さんで3年アルバイトをしておりました。私が一番売り上げをしたことで店長と、先先代の泉善七さんが私に、来年もぜひともやってくれというようなことで、就職してほしいというようなこともありました。その時のお子さんが三代目善七さんかと。

:孫ですね、わたしは。

参加者(男性):お父さんにもおじいちゃんにも大変可愛がっていただいて、こんなに立派な跡取りができたというのは大変嬉しいことです。(会場笑いと拍手)泉善七さんをごひいきにして頂ければ・・(会場笑い)

:本当に、どんどん業者さんなくなっています。やっぱり売れないということもありますし、先ほども申し上げた通り、食文化、味覚が変わってきているので、『イカダバエ』も本当は、原料があれば作りたいんですけど、まず、材料がなくなったのもあるんですけど、売れなくなったということもすごくさみしい面がありますので、なんとかちょっとでも残していきたいですよね、どうしても。

:いやあ残さないといけないですよね。『イカダバエ』についてお話しいいですか?

:『イカダバエ』は筏の下にいた『ハエ』を炊いたから『イカダバエ』なんですけど、この発祥の地がちょうど今お話に合った鵜飼屋、川原町、湊町になります。私が川原町に泉屋を作った理由も『イカダバエ』の発祥の地だから、どうしてもあそこで料理をやりたかったというのがあります。岐阜も川の水運文化の郡上とね、美濃から材木を筏で下ってきて、その筏の下にうようよいたから、『イカダバエ』という名前がつきまして由緒正しい岐阜の食文化なんです。

蒲:そうですよね。そういう意味でね、残さないといけないわけなんですよね。

泉:平工さん、お願いします。(笑)

(会場笑い)

蒲:平工さんひとりに背負わせるのではなく平工さんの次に続く人をいかに育てるか。そして、みなさんがいかにちゃんとした価格で鮎を買って美味しく食べていただくかにかかっています。ご家庭でも鮎を美味しく焼く方法を日々追求しているのですが、最近はまっているのが『鮎めし』です。鮎雑炊にする人が多いのですが僕は鮎めしが大好きで、ご飯を炊くときに塩焼きにした鮎をみりんとお酒と醤油と一緒に炊き込んで、炊き終わった後にそれをほぐして身と皮だけ一緒にして混ぜて食べます。これって郡上の食文化なのかな?『鮎めし』って。岐阜は『鮎雑炊』なんですかね?

:あまり『鮎飯』ってないですね。

:ないですよね。いずれにせよ流域様々な食べ方が残っていますので、そういったことを販売の際にも伝えていきながら、鮎は本物ですので、それを食べる文化も家庭にどんどん持ち込んでいただけるようにしていきたいと思います。

 

あとお一人くらい、ではどうぞ。

 

参加者(女性):貴重なお話ありがとうございました。平工さんに質問なんですけど、どうして川漁師になろうと思ったのか教えて欲しいです。

平工:はい。平工という苗字ですが、岐阜市長森、県病院があるあたりが平工の土地でして、私もそこで生まれ育ち、小学校中学校が終わると長良川で遊んでいました。大きな本流で魚を捕るというのはなかなか難しいんですけど、大人たちが簡単に捕ったりするのを見て、当時農業用水や小川で魚を捕ることが同級生の中でも秀でて上手だった僕にとって、本流で魚をとれる大人が格好良くみえたんです。ましてや鮎なんて魚は、子どもではなかなかとれない魚なんです。川で出会う大人たちはみんな自分たちは研究者みたいに武勇伝を持ってますし、(会場笑)それが格好良かった。一般企業に就職して出会う大人、上司が格好いいと思ったことはあまりなかったんですけど、(会場笑)社会人になってからでも、川で出会う大人たちの話を聞く方が面白かったです。大学でも水産学の勉強をしていまして、実は卒業後1年目に羽島の有名な漁師さんに仕事がしたいと訪ねましたが、「もう息子にも継がせられない。だから仕事なんてないよ」って、断られました。一度は諦めた世界ですけど、3年前から鵜匠の船に乗り込んで川で出会う大人たちと触れ、また鮎の素晴らしさを感じ、やっぱり川が大好きで、清流長良川や鮎の情報がたくさん入ってくるようになると、気持ちがまたふつふつと沸き起こってきました。10年前に確かに漁師さんに「仕事はないぞ」って言われましたが、あれから私ちょうど10年節目の年です。川で仕事がなければ自分で作ろうという気持ちと自信があったので、漁師の世界に飛び込んでいます。なんで川漁師になったかというと、大学の先生など、すごい肩書きの方もたくさんいらっしゃるのですが、そういう方々が「私たちは現場の方の声をたくさんの方にわかりやすく数字やデータや言葉で伝えるのが私たちの仕事です」と言ってくださるんですが、やっぱり川の変化に一番に気づくのは現場の人ですよね。そういった人になりたいと強く思ったのが『漁師』というのにこだわった理由ですね。

参加者(男性):最後に一つだけ。平工さんとお二人にちょっとお尋ねしたい。政治のことに深く関わる云々ではなくて、鮎のためには河口堰があったほうがいいのか、ないのかだけをひとつ聞きたいです。(会場笑)

泉:必要ないです。あってはダメだと思っています。

参加者(女性):私はない方がいいと思っています。

泉:世界農業遺産』を継続させるためには天然遡上の川に戻さないとダメだと僕は思っています。

平工:鮎の寿命はわずか1年です。清流のイメージが強い鮎ですが、その一生の半分は海で過ごしています。また、生活史の始まりがまるで遡上から始まるような印象ですけど、鮎の命の始まりは『遡上』ではなく『降下』です。今の時期、卵から孵った魚は一度海に行って生活します。遡上を円滑にとの思いで魚道に関してはいろんな研究をされていますが、下るところから鮎の最初のステップが始まるので、そこに人工的な横断構造物があるのは、言うまでもなく…。なかなか言葉で言及するということは、いろんな方の目とかありますし、鵜匠さんたちも正直、河口堰のことは言及していませんよね。かつて漁業者に補償金が下りたりいろんな事情や行政とのつながりがあると思うので、みんな自分の言葉では言いませんけど、「やましき沈黙」という言葉が昔流行りましたが、本心は、ここにいるみなさんも多分関係者もみんな、心は一つだと思っています。

:その通りなんですけど、僕は擁護するというよりかは、将来的に解決をしていきたいなと思っています。「ダメだ!」「壊せ!」と言い続けて本当に解決するのかっていうのが僕たちの世代の疑問です。それはずっと僕たちの親世代くらいの反対派の方たちはそうやってやってきたんですけど、結果としてなくなっていないですね。ただ地道にやっぱり交渉したり話し合いをした結果、例えば一昨年くらいから、遡上時期に水門をあげるっていう試みは始められつつあります。先ほどお話にあがった『種付け』ですが、鮎の受精卵をしゅろの葉っぱにつけて、これをかつては本流だけでやっていた訳です。それを今は河口堰がありますから、その横に大きな『孵化プール』を作りまして、そこに持って行って、そこでいわゆる天然のDNAが誕生して、伊勢湾に出ていく。もちろん小手先のことなのかもしれないですけど、やっぱりここに歩み寄りがあると思っています。段階的にやっていかないとおそらくこの問題は解決しないですし、その間には、対話というのがとても重要じゃないかなと思っています。昨年度からですね、国土交通省の木曽川上流事務所の方も、河川の白い河原を取り戻す取り組みというのをしております。長良川おんぱくでも協同しているんですけども、今日この場があることも、行政と我々市民との協同で生まれておりますし、こういった対話を元にした協同ということの先に、この世界に誇るべき長良川の鮎を獲って、育てて、食べて、という文化を継承していけるような仕組みをみんなで作り邁進していけるように、僕も頑張りたいなと思っております。みなさんもそういった形で声を上げていっていただけたら嬉しいなと僕は思います。

参加者(女性):『鮎ずし』自体見たことなくて、今日初めて『熟れずし』を見たのですが、熟れずしが普通でいう『鮎ずし』のことをいっているのでしょうか?私、『鮎ずし』自体見たことないんですけども。

:これがすしの原点です。これからいろんな『すし』にいったので、これを原点と思っていただければ・・

蒲:つまり『熟れずし』イコール『鮎ずし』かってことでしょうか?

参加者:長良川の…

泉:鮎の『姿ずし』のことですか?

参加者:長良川の周辺行くと、『かわらや』とかそういうところに行くと鮎ずしが食べられるというのを聞いたことがあるんですけど。

泉:それは『熟れずし』のことかな?と思います。

蒲:ただ『熟れずし』というのは鮎だけで作るものではなくて、アジア全般に広がっている『熟れずし』という文化で、使う魚はいろいろなわけですよね?

泉:岐阜では鮎ですけどね。そのお店によって多少製法が違うと思います。1年漬けているのはたぶんうちだけだと思います。あとはさっきの鵜匠さんのような漬け方を、長良川の旅館さんやっていますよね?

蒲:全部ではないです。『すぎ山旅館』さんと『ホテルパーク』さんがやっています。

泉:多分そういうことだと思います。あとはうちでは笹巻きずしとか握りずしみたいな、姿ずしではないんですけどやっていますよ。それもすしと言えばすしです。

参加者:いろんな種類があるんですね。今日の『熟れずし』はいろんな種類の中の一部ということですか?

:一部というか原点と思っていただければ。おすしの元だと思っていただければいいかと思います。

参加者:はい。わかりました。ありがとうございました。

蒲:あと最近駅弁で「鮎ずし」って姿を押しずしにしているやつがJR岐阜駅に売っているのを発見しました。

泉:あれは実は昔からあります。

蒲:『うまいや』さんですか?

泉:『うまいや』さんではなく、潰れちゃったんですけど、加納の方にお弁当屋さんがありまして、そこがずっと…『かすみかん』さんです!年配の方はみなさんご存知ですよね。蒲さんが知らないだけの話。(会場笑い)岐阜の人が鮎ずしと言ったら連想するのはあの姿ずしのことだと思います。昔からありました。

蒲:はい。ありがとうございました。早速今話題にのぼりました『熟れずし』をそろそろみなさんに召し上がっていただく時間にしたいと思いますので、一旦トークをしめさせていただきたいと思います。本日熱い語りをしていただきましたお二人に大きな拍手を。ありがとうございました。

(会場拍手)

おまちかねの試食タイム!

泉:ひとつだけ『熟れずし』ではなく、白いごぼうのようなものがありますけど、『守口大根』です。今しかない寒づくり『守口漬け』というもので、岐阜市の守口町で取れる大根です。棒みたいなやつなんです。『べっ甲漬け』みたいな、うなぎやさんによく出てくる真っ黒の『守口漬』を想像されると思いますが、冬しか出ない面白い食物でして、長良川流域ならではの食べ物として、今日持ってきました。

:『守口大根』って、かつて長良川が流れていた川北の砂地だからこそ作られた岐阜のオリジナル野菜なんです。だから岐阜で『守口漬』と…

泉:『守口漬』とこちら『子持ち鮎の熟れずし』、平工さんの『赤煮』、『白熟クリーム』は熟れずしのごはんで作ったサワークリームと生クリームをブレンドしたものです。バケットに塗ってありますのでそのままお召し上がりください。

:『赤煮』の説明はありますか?

平工:はい。岐阜市の長良川流域でとった子持ちの鮎です。通常この時期の鮎は砂が入っていますけども、川で2日間生かすことで、砂を出させます。その間には、網をくぐった場所にはカビが生えて市場に出せなくなったりして、漁獲量の2割くらいは商品にならないんですけど、そこまで労力をかけてでも砂のない子持ち鮎を扱っています。技術を習得しながら、私が獲った砂のない子持ち鮎です。今日、1匹を5つに割っていまして頭の部分と尻尾の部分は硬いので省いてもらってください。さらっと炊き上げているもので、先程おっしゃっていた頭の部分が『ぐにゃっ』とするような食感だと思うので、頭は食べなくてもよいですし、尻尾も先っぽは骨が一番密集して硬いところです。なので今日は、真ん中の卵のつまったところを試食してみてください。